戰國時代戦国期
海上運輸的重要據點 「蛇島城」
海上交通の要所「蛇島城」
蛇島城圖 圖片來自京都府中世城館跡調查報告書 丹後編
蛇島城図版=京都府中世城館跡調査報告書・丹後編より転載
在中世紀,蛇島上建造了山城,作為控制海運的海城。根據文獻記載,島嶼南部存有建造瞭望塔用的曲輪(城牆內平面空間),此蛇島城由三段曲輪構成。
中世の時代、蛇島には山城が築かれた。いわば水運を押さえる「海城」。文献によると、島の南側には見張り台などを建てるため平坦地の曲輪(くるわ)が残り、三段の主郭部から成る「蛇島城」があった。
從佐波賀地區觀望的蛇島
佐波賀地区の集落から望む蛇島
從戰國時代就已經是若狭灣的海運重要據點的蛇島。1901年,東舞鶴設立了海軍基地,變成了現在的蛇島。
島の名は大昔、夜な夜な海を渡ってきて悪さをする大蛇に悩まされ、対岸にある雲門寺の住職が大蛇を退治したという伝説に由来する。
从战国时代就已经是若狭湾的海运重要据点的蛇岛。1901年,东舞鹤设立了海军基地,变成了现在的蛇岛。
戦国の世から若狭湾の海上交通を牛耳る要所であった蛇島。1901年、東舞鶴に海軍の鎮守府が設置されたことで変貌する。
大正時代大正期
海軍建造燃料倉庫
海軍がガソリン倉庫建造
圖片由舞鶴市提供
舞鶴市提供
當時,軍事基地建造於中舞鶴至東舞鶴地區。蛇島於1916年被海軍買下,並禁止外人進入。於1924年建造了4道隧道型的倉庫,用於保管並隔離具有強烈揮發性的汽油。
当時、中舞鶴から東舞鶴にかけて軍事施設が建設された。蛇島は1916年に海軍が買い上げ、立ち入りが禁じられた。1922年4本のトンネル倉庫を建造。揮発性の高いガソリンを保管し、隔離する場所だった。
100年前建造的至今保持良好狀態的隧道倉庫
100年前に建造されたとは思えないほど良好な状態で残るトンネル倉庫
隧道入口設有土壘
トンネル入り口には土塁が築かれている。
隧道拱頂部分由磚頭建造,另外還有一些隧道的拱頂部分為了固定汽油桶是用水泥建造的。
トンネル上部のアーチ部はれんが造りで、ガソリンタンクを固定していたアーチ状のコンクリートが残るトンネルもある。
曾經設置起重機的圓形平台
かつてクレーンがあった円形の基礎
島內港口存有岩石堆疊的提防以及電動起重機的基礎架構遺跡,可見當時的基礎設施技術。
島には船が着く石積みの護岸や電動起重機(クレーン)の基礎などの遺構も残っており、インフラ技術を伝えている。
現代現代
認定為日本國家遺產 開放觀光
国の「日本遺産」に 観光活用へ
參加參觀行程的觀光客
公開ツアーに参加する見学者ら
2020年6月,蛇島基於其支撐當時軍港的重要基礎設施的地位,被日本文化廳追加認定為日本國家遺產
2020年6月、軍港を支えた貴重なインフラ施設として文化庁の「日本遺産」に追加認定された。
2022年秋天,為了測試蛇島能否作為觀光地開放,首次開放一般民眾參訪,蛇島重見天日
2022年秋には観光地としての可能性を探るため、初めて一般公開され、日の目をみることになった。